益田ミリさんのエッセイです。益田さんの独自の目線で「言うのがなんとなく恥ずかしい言葉」や「言いたくない言葉」について書かれています。
別に気にしなければ意識することがないような言葉たち。
だから、「そんな事いちいち気にしなくても・・・」って思う人もいるだろうな、と思います。
でも、私はそういう感覚って好きだなぁ~っと思います。
もちろん共感できることばかりではないけれど、言葉を大切にするって少しだけ丁寧に生きる...みたいなそんな感じ。
だから、これからも自分の中のそういう感覚は守っていきたいな、と思いました。
「親友」の項は凄く分かる。
自分の中で、家族意外は「友達」と「それ以外」の2つだけになったというか。
そもそも「友達」というのも、軽々しく言いにくくなった気がしています。
そんな30代。
そして「孤独死」の項は胸が痛みました。
ミリさんは「孤独死」の定義をいろいろと考えるのだけど...
ひとつだけ、確実に、孤独死と言い切れる死がある。
子供が親に虐待されて死んでいくこと。
ニュースで見るたびに、これ以上の孤独な死があるはずがないと苦しくなる。
どんなに心細く、どんなに怖くて、どんなに淋しかっただろう。
子供は、大人から愛されなければいけないのに。
子供の時間は、大切にされるためにあるのに。
と書かれています。本当にそうだなって思いました。
心から。単に1人で亡くなることが「孤独死」ではないのだろうな。
言葉は心を操る力を持っていると思っています。
だから口に出すときはちょっぴり考えてから発したいと思っています。
どんなに醜くひどいことでも、心で思ったり文字に吐き出したりする事は、必ずしも悪い事だとは思いません。
誰だって心の中に思うことは綺麗な事ばかりじゃないから。
ただ、口に出すことによって”言霊が宿る”と思うので、発する言葉はなるべくなら素敵な言葉を使いたいです。
私は15年にわたってブログを書いてきました。
ほとんどの方とは優しく温かな交流ができてとても感謝しています。
だけど、物凄く言葉で傷つけられることもありました。
たぶん、直接だったら絶対に言わないであろう言葉を平気で浴びせてくる。
そんな時はもちろん、凄く嫌な思いをするのだけど、画面の向こうの誰かの八つ当たりを受けたということは、その人のストレスが多少なりとも解消されて、一種の人助けになったのだろうか...とも考える。
というか、そう思わないと悲しくなるから。
言えないコトバ、言わないコトバ
それは、人間の本質が見える、実はとても重要な”コトバ”なのかもしれない。(#益田ミリ)
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