年を重ねるごとに「いいかげん」の大切さというか...上手に「いいかげん」に生きれるようになりました。
学生時代や独身時は、あまり感じたことがなかったんだけれど、「母親」になったとたん、なぜか「親になったんだから完璧でなければいけない」と思いました。
割と若くして子供を産んだので「これだから若い母親はダメなんだよ」と言われてはいけない!そんな風に思われたら、子供がかわいそうだと思いました。
「いいかげんな母親」なんて絶対ダメなんだと思っていました。
だけど...、もちろん”完璧な母親”なんてできなくて。
仕事も家事も子育ても、完璧であろうと思えば思うほど、現実の自分とのギャップに絶望し、自分はなんてダメな人間なんだと、ひどく落ち込みました。
特に20代半ばから30代の半ばまでは、会社経営しながら小さな子供の子育て(夫はほぼ単身赴任でワンオペ育児)、
犬2匹のお世話、保育園や学校でのPTA役員などなど...本当に日々が24時間では足りないほどたくさんのものを抱えていました。
ゆえに...日々の小さなことさえこなせない。
世間の理想の「母親像」から自分はとても遠いところにいるような気もしていました。
子供に手の込んだご飯やおやつを作ってやれない。
毎日掃除機さえもかけられない。
庭のお手入れも満足にできずお花を枯らせてしまう。
手帳やノートも続かない。
資格の勉強も中途半端。
子供のためにママ友を作って、お友達同士で家を行き来するなんて無理。
何もできていない。子供にとっていい母親にもなれていない。
そんな自分に本当にイライラし、自己肯定感がどんどんなくなっていきました。
時が経ち...
今では子供も高校生になり、夫の単身赴任も終わり、仕事も手放しました。
身軽になり、時間がたっぷりできたので、色々なことを「完璧にこなす」ことが時間的に以前よりも可能になりました。
だけど、いつの間にか...もう自分がそんなことに囚われていないことに気づきました。
何事も「いい加減」にすればいいじゃない!そんな風に思えるようになっていました。
その大きな理由はきっと、すべてを完璧にできなかった私だけれど、それなりになんとなーくここまで生きてこれたから。
会社を手放すときは、それはそれは胃に穴が開くほど悩んだし、肩書が消えることも怖かった。
自分が何者でもなくなるような気もしました。
でも仕事を会社ごと手放し、時給数百円のパートをしたり派遣で働いたり、しばらく休んだりする今の生活の中で、とても自分らしく生きていて、幸せだな~と思います。
もともと、自分は何者でもなかったんだということにも気づきました。
毎日手の込んだごはんや手作りおやつなんて作れず、レトルト・冷食バンザイで子育てしたけれど、ありがたいことに子供は丈夫に育っています。
「子供が小さいうちから働いたら子供がかわいそう」と言われて、何度となく子供に申し訳ないと思ったけれど...
髪を振り乱して働いていた母を見ていた娘は高校生になった今、「私もしっかり働いて、絶対自立した女性になる!」と言っています。
小さい頃に一緒にいてあげた時間は、専業主婦のママさんより短くて、他の家庭と比べて罪悪感を感じていたけれど、私の子にしては素直でまっすぐに育ってくれたと思います。
ママ友は1人もいないし、家族ぐるみの付き合いなどもしたことがないけれど、子供は勝手に世界を広げていくし、なんの支障も問題もありませんでした。私自身はむしろ快適。
「こうでなければいけない」に縛られ、とても苦しく辛かったけれど時間が経って思うことは、自分を縛り付けていたのは自分。
もっともっと自由にいい加減に生きてよかったんだなぁ~と心から思います。
もしも今、昔の私のようにガッチガチの「こうでなければいけない」に縛られている人がいたら、大丈夫だよって伝えたい。
そしてあの頃の私にも「あなたは大丈夫だよ、幸せに生きてるよ」って伝えてあげたいです。