ドキュメント72時間「新宿・花園神社 夢は、夜ひらく」を見ました。(ドキュメント72時間は、私が必ず録画してみている番組の1つです。)
2018年1月に放送分の再放送なので、活気がある「酉の市」の様子がすごく新鮮でした。
たった数年前の当たり前の光景が、今ではとてもありがたい日常だったんだと思い知らされます。
この放送で私が1番心に残ったのは「見世物小屋」のこと。
花園神社・酉の市で見世物小屋を開催しているのは、大寅興行社という一座のようで、もう日本にはこの一座しか残っていないそうです。
ここからは、番組とは全く関係ない話なのですが、私がまだ幼いころ、1度だけ地元の大きな神社のお祭りで親戚のおじさんに連れられて見世物小屋に入ったことがあります。
ただ、あまりに幼い頃なのでほとんど覚えていないのですが、作り物のヘビ女の人形が動いているような感じだったと思います。(本物の人間は出てこなかったと思います。)
世界でも見世物小屋の歴史は古く、西洋では「フリークショー」と言われていたそうです。
映画グレイテストショーマンも、アメリカのP・T・バーナムが実際に行っていたフリークショーがモデルです。
当時は日本でも世界でも、障害がある人たちが実際にショーを行うことが多かったようですが、現在はそれは差別的だということでほとんど行われていません。
驚いたのは、昔はのぞき穴から性行為を見せたり、ショーに出演させるために子供を誘拐したり見世物小屋に子供が売られてきたり、出演させるために故意にけがをさせたりすることもあったということ。
もちろん、そういったことは絶対許されないことだと思います。
しかし、一方では自身の身体的特徴を生かし、見世物小屋やフリークショーで生計を立て、立派に生きた人たちもいるそうです。(中村久子さんや、P・T・バーナムのショーで活躍していた人たちなど。)
そんなこと知ると、すべてをひとくくりにして「差別的」と言う言葉で片付けてしまっていいのかな?という気もしてしまいます。
「ミゼットプロレス」という低身長症の人たちが行うプロレスがあります。
今は現役レスラーが2人しかいないため、事実上廃業状態になっています。
廃業に追い込まれた背景には、選手の身体的ダメージによりケガが多かったこともあるようですが、大きい原因は「クレーム」だったと言われています。
女子プロレスの前座を務めていたこともあり、コミカルな要素も大きかったミゼットプロレス。
それを見て「障碍者を見世物にして、笑いものにしている」とクレームが多くなり、テレビ放映されなくなり衰退していったようです。
これにより、ミゼットレスラーたちは職を失ってしまいました。
選手たちは「自分達は笑われているのでは無い、笑わせているんだ」という自負を持っていたのに、周りからの「かわいそう」という言葉で「かわいそうな人」に仕立て上げられてしまったわけです。
やりたくないと言っている人に、無理やりやらせる...これは障碍者であろうがなかろうが、人権侵害だと思います。
だけど障がいや身体的特徴を生かし、プライドを持ってやっている人に対して「かわいそうだ」「差別的だ」と言うのは少し乱暴で、逆に差別的なのでは?と思います。
どんなに本人が望んでも、障がいや身体的特徴を生かしたショーやエンターテイメントは「差別的」で「かわいそう」と言い、
24時間テレビのように「感動」を押し売りすれば前面に出せば、それこそが”善”だとばかりに持ち上げる...私にはその方が違和感があります。
こういうことを書くのは少し難しく、当事者ではない自分が書くことで誰かを傷つけてしまうかもしれない怖さはあるのですが...
私が言いたいことは、差別や障がいがどうこうということではなく、「かわいそう」かどうかは、他人が決めることじゃないってこと。
日常でも「一人っ子なの?かわいそう。」とか「お子さん生まれつきの病気なの?かわいそう。」とか「おばあちゃん、家で面倒見ずに施設に入れたの?かわいそう」なんて平気で言う人いますよね。
「かわいそう」という言葉は、時に人を傷つけ自由を奪ってしまう。
私は人に対して安易に「かわいそう」だという人の方が「かわいそうな人」だと思っています。