著者は2000年に愛媛県松山市で、在宅医療専門クリニック「ゆうの森」を開業した永井康徳医師です。
このクリニックは職員3人、患者ゼロからスタートしました。
「理念」「システム」「人財」において、高いレベルを維持することで在宅医療の「質を高めること」を目指し運営し、現在では職員数も約100人となり、多職種のチームで協働して行う在宅医療を主体に入院、外来診療も行っています。
本書では、永井医師が実際に看取ってきた患者さんのことや、自分の考える「医療」や「死」について書かれています。
コミックエッセイ部分とエッセイ部分があり、コミック部分は登場人物が全員ネコになっています。そのおかげで、難しく重めのテーマなのにほんわりした柔らかい雰囲気になっています。
私は「家で死にたい」というのは「わがまま」だと思っていました。
理由は「家で死にたい」と言った祖母を看るために、母が命をすり減らすような苦労をしていたから。
祖母は100歳を超える超高齢者。年齢の割には元気だと人は言うけれど、体は自由が利かなくなり認知症の症状も少しあります。
介護ヘルパーさんなどにも助けてもらっていましたが、介護認定というのがまた難しく...介助すればトイレまで行けるとか、家族が同居しているとか(これは関係ないと言われていますが、実際は関係しているのではないかと感じました)で、最初の数年は「要支援」止まりで、介護保険もあまり使えませんでした。
認知症で昼と夜が分からなくなった祖母は、夜中だろうが早朝だろうが母を呼び寝不足の日々。
仕事と介護を両立していた母は心身ともに疲れ果て、体調を崩し難病を発症。そこでようやく祖母は施設に入所しました。
そんな経緯もあり「家で死にたい」と口にすることは、家族に迷惑がかかると私は思っていました。
でも、この本を読んで少し気持ちが変わった...というか「こんな医療チームが近くにいてくれたら、在宅看護する人はどんなに救われて心強いだろう」と思いました。
患者さんを「世話をする人・される人」ではなく、いつかは自分も通る道を先に行く「人生の先輩」という気持ちでかかわっている、という部分を読んで自分もそんな風に接してもらえたら凄く嬉しいだろうなぁと。
そして何よりも永井先生の「死に方」への考え方が私はとても好きでした。
「枯れるように死ぬ」とはまさに私の理想です。
もう自分の命がそう長くない時や、治る見込みが全くない場合は、体に負担をかける点滴や治療はしたくない。それで少し寿命が延びるとしても。
とにかく痛みや苦痛をできるだけとってもらって楽に逝きたい...私はずっとそう思っているし、家族にも伝えています。
医療が発展し、平均寿命も延び続けているこの超高齢化社会の中で、医療も私たちも「生きる」ということだけを考え、「死ぬ」ということをあまり考えていない気がします。
生きていれば必ずやってくる「死」。
もっと一人一人が自分事として考えなければいけなくて、そしてそれを家族で共有するってとっても大切だと思います。
自分に何かあった時に、自分の「死に方」を家族に選択させるのはとても酷なことだから。
どんな生き方、死に方を選ぶのも自由。永井先生の考え方や私の考え方が正しいわけでもありません。正解なんてありません。
ただ、自分の人生の終わりが近づいたときにどう生きて、どう死んでいくかを自分で考えることがとても大切だと思います。
たくさんの人に読んでもらい、改めて自分や家族の「死」を考え「人生会議」をするきっかけになるといいなぁと思いました。(#永井康徳)