104歳でこの世を去った私の祖母。
祖母にとっての”孫”は私と弟の2人だけでした。
世間ではよく「孫はかわいい!特別!」だと言っているのに...祖母から私たち孫に対して、そのような感情は伝わってきませんでした。
甘やかすことも全くなかったし、何かを買ってもらったりお小遣いをもらうこともありませんでした。
だから、私は同級生たちがおじいちゃんやおばあちゃんに愛され、甘やかされている様子がとても羨ましかったです。
そんな祖母でしたが、私の娘(祖母からするとひ孫)に対しては本当に愛情深く、溺愛してくれました。
それは世間で言う「孫はかわいい!特別!」そのもの。
孫に対してではなくひ孫に発動したようです。
そして祖母はよく私にこう言いました。
「あんたは本当に何やってもダメだったけど、子供だけは上手に育てたわぁ」
褒められているのか、貶されているのかちょっとよく分かりませんけれども...それでも、自分の子供を大切にしてくれるのは嬉しかったです。
祖母が危篤になり施設に駆け付けた時、朦朧としてはいましたがまだ意識がありました。
そこで最後に祖母が最後に発した言葉は、私の娘(ひ孫)の名前でした。
本当に愛してくれていたんだと思います。
こんなことを言うと冷たい人間だと思われるかもしれませんが...私は祖母が亡くなって「寂しい」とは思いますが「悲しい」という感情はあまりありません。
その理由は、104歳という大往生だったこともあるけれど、認知症が始まったころから祖母は「もう生きるのをやめたい」と時々言っていて、私はその気持ちをとても理解できたからかもしれません。
体はどんどん動かなくなり、色々なことが分からなくなる。
それでも全てが全く分からないわけではないから、自分がボケていっているということは理解できてしまう。
大好きだったテレビも理解できなくなり、趣味だったクロスワードも出来なくなった。
食べることも大好きで、大きなから揚げなども大好物だったけれど...嚥下障害によりペースト状の味の薄い食事になった。
コロナで大好きなひ孫にも、なかなか会えなくなってしまった。(面会には行っていたけれど、2mの距離+アクリル板なので、顔もほとんど見えないし声もほとんど聞こえない。)
そんな状況が祖母に「もう生きるのをやめたい」と思わせたのだと思うと、私が同じ状況でも同じように思うと思うのです。
だから、いなくなってしまった寂しさはあるけれど大きな悲しみはなく、ただただ「本当にお疲れ様でした」という気持ちでいっぱいです。
祖母が認知症になる前は、毎週のようにみんなで一緒に食事をして、時々みんなで出かけたり、家族の誕生日には盛大にパーティーをしていました。
その度に祖母は、いつも「私は幸せだ」と言っていました。