わたし、シーズン2

読書が趣味の40代主婦。きままな読書感想文を中心に日常を綴っています。家族は、夫と娘と元保護犬の愛犬ミィ。

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幸せになってね、と思っています

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眞子様が、小室眞子さんになりました。

 

会見を見ましたが、眞子さんの顔が悲壮感の溢れる感じではなかったのを見て安心しました。(笑顔は少なかったですけどね...)

 

もし私が眞子さんなら、こんなバッシングの中で会見するのは、死ぬほど嫌だっただろうな...と思うので、短時間だったけれど表に出てきたことは素直に偉いと思います。

 

 

色々思うことはあります。

 

もっと上手にできたのでは?とも思います。

 

こんなに時間があったんだから、金銭問題の解決はできただろう...とも思います。(ついでに言うと、あの姑の元へ嫁いでも大丈夫?と姑に泣かされた私は思います。)

 

でも見えない人たちに、長い間誹謗中傷されるというのは本当に辛かったと思います。

 

たかが個人のブログでも、たった1件批判コメントが来るだけで心にダメージがありますから。

 

 

私は、夫のことが大好きで大好きで結婚しました。

 

決して「いい夫」ではないことも多々あったし、離婚の危機もありましたが...それでも結婚17年(一緒に暮らして20年)経っても仲良くいられるのは、大好き!という気持ちがあったからかもしれません。

 

 

本来なら嬉しくて幸せが溢れる結婚が、こんな形になってしまったのは残念だと思うけれど...

 

「だからやめろって言ったんだよ!」なんて言われないように、若い2人には幸せになって欲しいな。

 

おばちゃんは、そう思っています。

 

どうか幸せに...。

ツキノワグマと人間の共生を支えるベアドッグたち!『クマとタマ~軽井沢・ベアドッグの取り組み~』を見て

f:id:egaode_kurasu:20210915125347p:plainドキュメンタリー『クマとタマ~軽井沢・ベアドッグの取り組み~』を見ました。

 

人とクマの共存を目指す軽井沢町で、クマ保護管理対策事業に取り組む「特定非営利活動法人 ピッキオ」の活動を追ったドキュメンタリーでしたが、とても心に残りました。

 

 

私は正直に言うと、狩猟が少し苦手です。

 

狩猟に反対しているとか、軽々しく「かわいそう」とか「命がどうこう」とか言うつもりもありません。

 

適正な狩猟は、一次産業の保護や生態系の維持のために、大切な仕事だということも理解しているつもりです。

 

ただ、狩猟につかう猟犬を大切にしない猟師は一定数いて、年老いたり仕事が出来なくなると山に捨てたり、最悪な場合は撃ち殺してしまう人もいると聞きます。(愛犬ミィを譲り受けた愛護団体は、そういった猟犬の保護もしています。)

 

見るに堪えないような環境で猟犬を飼育している人もいます。

 

そして犬が好きな私は、猟犬がイノシシなどの狩猟でケガをしたり命を落とすことに心が痛いと感じてしまうからです。

 

しかし、今回見たこの番組に出てくる「ベアドッグ」は猟犬ではありません。

 

ベアドッグたちは家庭犬のように、家の中でハンドラーと共に生活をしながら暮らしています。

 

そして、ハンドラーと共にクマと一定の距離を保ちながら、吠えたてて威嚇しクマを森の奥へ帰すお仕事をしています。

 

加えて、罠(もちろんクマを傷つけない仕様)にかかったクマにGPSを装着し、人が住むエリアにクマが入らないよう監視しています。

 

GPSにより、もし近づいているのが分かればベアドッグを連れて行き、山の奥へ帰します。

 

この活動により、クマを守りながら人の生活も守られていました。

 

 

クマは危険な動物でもあるので、初めは地元の人の理解を得にくかったと言います。(極端な言い方をすると、クマは危険なんだから守らずに殺せばいいという意見があったということ。)

 

しかし現在では、ピッキオの活動は地元の理解も得て、ベアドッグたちも地域の人たちにも愛されているようでした。

 

もちろん、どうしても危険な場合(何度も同じクマが住宅地へやってくるなど)は駆除することもあるそうですし、それも住民の生活を守るために大切なことだと思います。

 

お互いのテリトリーを守りながら野生動物と共に生きていく。

 

本当にとても素敵な取り組みだと思いました。

 

 

npo.picchio.jp

テレメンタリー2021「多頭飼育崩壊 ~いまそこに迫る危機~」を見て思ったこと

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ドキュメンタリー番組『テレメンタリー2021』(毎週日曜4:30~)で放送された「多頭飼育崩壊 ~いまそこに迫る危機~」を見ました。

 

ペットの不妊手術などを行わず異常繁殖させてしまい、飼育が困難になってしまう「多頭飼育崩壊」。鳴き声による騒音、悪臭など、近隣トラブルとなっているケースも多く、社会問題にもなっている。なぜ飼い主は、このような状態に陥ってしまうのか…。

 

時々夕方のニュースやワイドショーで見かけるペットの多頭飼育崩壊現場。

 

それを見る度に「常識やモラルがない迷惑な人たちが起こす出来事」だと思い嫌悪感を抱いていました。

 

この番組を見たからと言ってそういった気持ちが消えたわけではないけれど、多頭飼育崩壊が起こる裏側には様々な問題があることを知りました。

 

番組内ではNPO法人「人もねこも一緒に支援プロジェクト」代表・小池英梨子さんが、多頭飼育崩壊現場へ出向き対応する様子が映っていました。

 

1件目のお宅は、70代の認知症の母親と障害がある長男の2人暮らしのご家庭での多頭飼育崩壊。

 

小池さんに助けを求めたのは、離れて暮らすこの家の次男でした。

 

父親が亡くなった後、母親が寂しさから猫を飼い始め増えてしまったそうです。

 

通報者の次男は一緒に暮らしているわけではないので、多頭飼育崩壊に気づくのが遅くなってしまったのかな...と思いました。

 

それでも、こうして助けを求めて問題を解決しようとしてくれる家族がいることは救いだなぁと思います。(当事者の次男さん自身は大変だと思いますが...)

 

数十匹の不妊手術を済ませ、猫たちはまた元の家に戻りました。

 

これも小池さんが心掛けていることだそうです。

 

理由は、無理に猫を取り上げてしまうと飼育者の心が不安定になったり、また猫を拾ってきて増やしてしまい...

 

でもバレたら連れていかれるからと、その事実を以前よりも隠そうとしてしまうからとのことでした。

 

ゴミ屋敷を行政代執行などで片付けても、住人の心の問題が解決したわけではないので、またすぐにゴミを収集してあっという間にゴミ屋敷に戻ってしまうことを考えると、

 

なんだか納得する理由で、ちゃんと定期訪問などでアフターフォローしながら見守るというのは、状況が許せば大切なことなのかもしれないと思いました。

 

結果的には、認知症の母親も障害のある長男もその後施設に入所し、次男が餌やりなどのお世話をしに通っているとのことでした。(もともと自由に家の出入りをしていた猫さんたちなので、まぁ言い換えると地域猫になった...のではないかなぁと思ったりしました。)

 

 

2件目のお宅は高齢の男性宅。

 

こちらの男性は末期癌で余命1年と宣告されていました。主治医の先生が小池さんに相談したことで事態が動き始めます。

 

全ての猫の不妊手術を終え、闘病する飼い主のために4匹の猫を家に戻し、他の猫たちは里親さんを探すことになりました。

 

他の動物愛護団体の協力を得るため県外に引っ越す猫もいます。

 

なので小池さんは、猫たちを男性の元へ連れていきお別れの挨拶をし、その後も猫たちの写真を男性に送っていました。

 

そしてそれから半年ほどたって男性は亡くなりました。(家に残していた猫は小池さんが引き取りに行きました。)

 

 

多頭飼育崩壊現場はほとんどがゴミ屋敷。

 

糞尿もそこらへんに放置されていたりしているため、画面からは伝わりませんが...きっとにおいも凄いと思います。

 

中には子猫が生まれたら共食いしたり、死骸を室内に放置していたり...。

 

そんな環境で生活できるって、はっきり言って異常ですよね。

 

そう、多頭飼育崩壊を招いてしまう人は「病気」なんだと思います。

 

認知症だったり、アニマルホーダーなどの精神疾患だったり。

 

それに高齢化・貧困問題も加わっています。(多頭飼育崩壊を起こす生活保護世帯の割合は20%ともいわれています。)

 

2018年には多頭飼育に関する苦情が、全国で2149件(世帯数)寄せられています。

 

もはや多頭飼育崩壊は「無責任で怠惰な飼い主がおこしてしまう珍しいこと」ではなく、もしかしたら自分の身近でも密かに起きていることなのかもしれません。 

 

多頭飼育崩壊の大きな原因である、病気・高齢化・貧困・社会的孤立などの問題は、個人や動物愛護団体が簡単に解決できることではなく、法整備や政治の関与が必須だと思います。

 

そんな中、個人ができることとして私が声を大にして言いたいことがあります。

 

それは、特別な場合を除き避妊・去勢手術をしてくださいということ。

 

多頭飼育崩壊現場で必ずと言っていいほど聞くのは「最初は数匹だった」「数が増えて手術するお金が無くなった」という話。

 

また、私は動物病院での待ち時間に「健康な体にメスを入れるのはかわいそうだから不妊手術はしない」とか「うちはオスで妊娠しないから手術をしない」と言う話を何度も耳にしました。

 

人間に置き換えたら「かわいそう」かもしれない。動物への不妊手術は人間のエゴなのかもしれない。

 

でも...動物を「ペットとして飼う」と言うこと自体がもう既にエゴなのだと思うし、ペットとして動物を飼う以上は、不幸な動物を減らし動物たちが幸せに生きていけるよう人間が管理しなければいけないと私は思います。

 

そうして初めてペットは「家族」になるのだと。

 

オス犬やオス猫でも、逃げてしまった場合など外で交配してしまう可能性もあります。

 

それで生まれた犬や猫は殺処分になるかもしれません。

 

不妊手術をしたくないという人は、手術のデメリットにばかり目を向けますがそれを上回るメリットもたくさんあります。

 

発情がなくなることでのストレス軽減など色々ありますが、私が思う1番のメリットは、大切なペットの病気を予防できること。(メスでは乳腺腫瘍や子宮・卵巣の病気、オスでは精巣や前立腺の病気など。)

 

ペットが高齢になり麻酔のリスクが高くなった時に病気になって、手術をしていれば防げたのに...と後悔するよりも、若く健康で麻酔リスクが低いうちに手術をすることを私はお勧めします。

 

全てのペットが「家族」として幸せでありますように。心からそう願ってやみません。

 

▼今回番組に出ていた小池英梨子さんのHP▼

 

 nekokaramesen.com

hitonecocare.com

 

▼保護された猫さんの譲渡協力をされていたネコパブリック▼ 

 

www.neco-republic.jp

 

▼番組で保護された猫さんの不妊手術を1匹3500円で行っていた大阪ねこの会▼

 

www.nyan5656.com

ドキュメント72時間「新宿・花園神社 夢は、夜ひらく」のことを書いていたら、なぜか「かわいそう」について語っていた話

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ドキュメント72時間「新宿・花園神社 夢は、夜ひらく」を見ました。(ドキュメント72時間は、私が必ず録画してみている番組の1つです。) 

 

www.nhk.jp

 

 

2018年1月に放送分の再放送なので、活気がある「酉の市」の様子がすごく新鮮でした。

 

たった数年前の当たり前の光景が、今ではとてもありがたい日常だったんだと思い知らされます。

 

この放送で私が1番心に残ったのは「見世物小屋」のこと。

 

花園神社・酉の市で見世物小屋を開催しているのは、大寅興行社という一座のようで、もう日本にはこの一座しか残っていないそうです。

 

 

ここからは、番組とは全く関係ない話なのですが、私がまだ幼いころ、1度だけ地元の大きな神社のお祭りで親戚のおじさんに連れられて見世物小屋に入ったことがあります。

 

ただ、あまりに幼い頃なのでほとんど覚えていないのですが、作り物のヘビ女の人形が動いているような感じだったと思います。(本物の人間は出てこなかったと思います。) 

 

世界でも見世物小屋の歴史は古く、西洋では「フリークショー」と言われていたそうです。

 

映画グレイテストショーマンも、アメリカのP・T・バーナムが実際に行っていたフリークショーがモデルです。

 

 

当時は日本でも世界でも、障害がある人たちが実際にショーを行うことが多かったようですが、現在はそれは差別的だということでほとんど行われていません。

 

驚いたのは、昔はのぞき穴から性行為を見せたり、ショーに出演させるために子供を誘拐したり見世物小屋に子供が売られてきたり、出演させるために故意にけがをさせたりすることもあったということ。

 

もちろん、そういったことは絶対許されないことだと思います。

 

しかし、一方では自身の身体的特徴を生かし、見世物小屋やフリークショーで生計を立て、立派に生きた人たちもいるそうです。(中村久子さんや、P・T・バーナムのショーで活躍していた人たちなど。)

 

そんなこと知ると、すべてをひとくくりにして「差別的」と言う言葉で片付けてしまっていいのかな?という気もしてしまいます。 

 

 

「ミゼットプロレス」という低身長症の人たちが行うプロレスがあります。

 

今は現役レスラーが2人しかいないため、事実上廃業状態になっています。

 

廃業に追い込まれた背景には、選手の身体的ダメージによりケガが多かったこともあるようですが、大きい原因は「クレーム」だったと言われています。

 

女子プロレスの前座を務めていたこともあり、コミカルな要素も大きかったミゼットプロレス。

 

それを見て「障碍者を見世物にして、笑いものにしている」とクレームが多くなり、テレビ放映されなくなり衰退していったようです。

 

これにより、ミゼットレスラーたちは職を失ってしまいました。

 

選手たちは「自分達は笑われているのでは無い、笑わせているんだ」という自負を持っていたのに、周りからの「かわいそう」という言葉で「かわいそうな人」に仕立て上げられてしまったわけです。

 

やりたくないと言っている人に、無理やりやらせる...これは障碍者であろうがなかろうが、人権侵害だと思います。

 

だけど障がいや身体的特徴を生かし、プライドを持ってやっている人に対して「かわいそうだ」「差別的だ」と言うのは少し乱暴で、逆に差別的なのでは?と思います。

 

どんなに本人が望んでも、障がいや身体的特徴を生かしたショーやエンターテイメントは「差別的」で「かわいそう」と言い、

 

24時間テレビのように「感動」を押し売りすれば前面に出せば、それこそが”善”だとばかりに持ち上げる...私にはその方が違和感があります。

 

 

こういうことを書くのは少し難しく、当事者ではない自分が書くことで誰かを傷つけてしまうかもしれない怖さはあるのですが...

 

私が言いたいことは、差別や障がいがどうこうということではなく、「かわいそう」かどうかは、他人が決めることじゃないってこと。

 

日常でも「一人っ子なの?かわいそう。」とか「お子さん生まれつきの病気なの?かわいそう。」とか「おばあちゃん、家で面倒見ずに施設に入れたの?かわいそう」なんて平気で言う人いますよね。

 

「かわいそう」という言葉は、時に人を傷つけ自由を奪ってしまう。

 

私は人に対して安易に「かわいそう」だという人の方が「かわいそうな人」だと思っています。

いいかげん、いい加減?「いいかげん」に生きるのはとても大事◎

f:id:egaode_kurasu:20210313230533p:plain年を重ねるごとに「いいかげん」の大切さというか...上手に「いいかげん」に生きれるようになりました。

 

学生時代や独身時は、あまり感じたことがなかったんだけれど、「母親」になったとたん、なぜか「親になったんだから完璧でなければいけない」と思いました。

 

割と若くして子供を産んだので「これだから若い母親はダメなんだよ」と言われてはいけない!そんな風に思われたら、子供がかわいそうだと思いました。

 

「いいかげんな母親」なんて絶対ダメなんだと思っていました。

 

だけど...、もちろん”完璧な母親”なんてできなくて。

 

仕事も家事も子育ても、完璧であろうと思えば思うほど、現実の自分とのギャップに絶望し、自分はなんてダメな人間なんだと、ひどく落ち込みました。

 

 

特に20代半ばから30代の半ばまでは、会社経営しながら小さな子供の子育て(夫はほぼ単身赴任でワンオペ育児)、

 

犬2匹のお世話、保育園や学校でのPTA役員などなど...本当に日々が24時間では足りないほどたくさんのものを抱えていました。 

 

ゆえに...日々の小さなことさえこなせない。

 

世間の理想の「母親像」から自分はとても遠いところにいるような気もしていました。

 

子供に手の込んだご飯やおやつを作ってやれない。

 

毎日掃除機さえもかけられない。

 

庭のお手入れも満足にできずお花を枯らせてしまう。

 

手帳やノートも続かない。

 

資格の勉強も中途半端。

 

子供のためにママ友を作って、お友達同士で家を行き来するなんて無理。

 

何もできていない。子供にとっていい母親にもなれていない。

 

そんな自分に本当にイライラし、自己肯定感がどんどんなくなっていきました。

 

 

時が経ち...

 

今では子供も高校生になり、夫の単身赴任も終わり、仕事も手放しました。

 

身軽になり、時間がたっぷりできたので、色々なことを「完璧にこなす」ことが時間的に以前よりも可能になりました。

 

だけど、いつの間にか...もう自分がそんなことに囚われていないことに気づきました。

 

何事も「いい加減」にすればいいじゃない!そんな風に思えるようになっていました。

 

その大きな理由はきっと、すべてを完璧にできなかった私だけれど、それなりになんとなーくここまで生きてこれたから。

 

会社を手放すときは、それはそれは胃に穴が開くほど悩んだし、肩書が消えることも怖かった。

 

自分が何者でもなくなるような気もしました。

 

でも仕事を会社ごと手放し、時給数百円のパートをしたり派遣で働いたり、しばらく休んだりする今の生活の中で、とても自分らしく生きていて、幸せだな~と思います。

 

もともと、自分は何者でもなかったんだということにも気づきました。

 

毎日手の込んだごはんや手作りおやつなんて作れず、レトルト・冷食バンザイで子育てしたけれど、ありがたいことに子供は丈夫に育っています。

 

「子供が小さいうちから働いたら子供がかわいそう」と言われて、何度となく子供に申し訳ないと思ったけれど...

 

髪を振り乱して働いていた母を見ていた娘は高校生になった今、「私もしっかり働いて、絶対自立した女性になる!」と言っています。

 

小さい頃に一緒にいてあげた時間は、専業主婦のママさんより短くて、他の家庭と比べて罪悪感を感じていたけれど、私の子にしては素直でまっすぐに育ってくれたと思います。

 

ママ友は1人もいないし、家族ぐるみの付き合いなどもしたことがないけれど、子供は勝手に世界を広げていくし、なんの支障も問題もありませんでした。私自身はむしろ快適。

 

「こうでなければいけない」に縛られ、とても苦しく辛かったけれど時間が経って思うことは、自分を縛り付けていたのは自分。

 

もっともっと自由にいい加減に生きてよかったんだなぁ~と心から思います。

 

 

もしも今、昔の私のようにガッチガチの「こうでなければいけない」に縛られている人がいたら、大丈夫だよって伝えたい。

 

そしてあの頃の私にも「あなたは大丈夫だよ、幸せに生きてるよ」って伝えてあげたいです。

テレメンタリー「てんでんこ~それでも逃げて~」を見て

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ドキュメンタリー番組『テレメンタリー2021』(毎週日曜4:30~)で放送された「3.11を忘れない  揺らぐ てんでんこ~それでも逃げて~」を見ました。 

 

「津波てんでんこ」地震が起きたら他人に構わずてんでんばらばらに逃げなさい。津波常襲地帯・三陸に伝わる教えです。10年前、その教えを守り命をつないだ人たちがいます。人々のあの日の選択とその後の人生を通して、避難する事の意味を考えます。

 

東日本大震災から10年。

 

あの日、卒園を間近に控えた娘を保育園にを迎えに行ったとき、保育園の先生から「東北の方で大きな地震があった」と聞いて、娘を連れて急いで家に帰りテレビをつけました。

 

そこには、現実とは思えないような恐ろしい映像が映し出されていて、すぐには現実だと受け入れられなかったのを覚えています。

 

 

この番組では震災当時、中学校3年生(現在25歳)の 菊池のどかさん を中心に話が進みます。

 

中学生が小学生を支えながら、高台を目指して避難し「避難のお手本」とか「釜石の奇跡」と言われた、鵜住居小学校と釜石東中学校の避難行動。

 

まさに、この中に菊池さんはいました。おかげで命が助かり、現在は「いのちをつなぐ未来館」で震災の語り部として働いています。

 

そして「釜石の奇跡」と言われた鵜住居小学校の事務員で、たった一人学校に残り行方不明になった、木村タカ子さんのご遺族の木村正明は、亡くなった人がいる中での「釜石の奇跡」という言葉はおかしいと言います。

 

そんな木村さんに対して「釜石の奇跡」の中にいた菊池さんは、複雑な気持ちを抱えています。

 

その抱えている想いを、涙ながらに木村さんに話す菊池さんの姿がとても印象的でした。

 

 

佐々木トモさんは「震災時に津波が来るから避難しよう」と夫に訴えましたが聞き入れられず、あまりにしつこく言うので夫に家から追い出され、そのまま一人で非難して助かりました。

 

ご主人は家に残ったため、亡くなってしまいます。

 

それだけでも辛い出来事だと思うのですが、その後ご主人の妹さんに「兄を置いて、自分だけ逃げた」と責められてショックを受けます。

 

 

2020年12月10日現在、東日本大震災で死者1万5899人、行方不明者2527人(合わせて1万8426人)

 

これだけたくさんの人の命が奪われたということは、その何倍も「大切な人を失った人」がいるということ。

 

それぞれに、いろんな思いを抱えながらこの10年を生きてきたんだと思います。

 

私なんかじゃ想像もできない悲しさや、喪失感と闘ってきたんだと思います。

 

菊池さんは最後に「また震災が起こった時、目の前の人を置いて自分が逃げるということはできないかもしれない」と言います。

 

でもそのあとに「逃げなければ、逃げたくても逃げられなくて亡くなった人達の思いを無下にしてしまう」と言っていました。

 

▼ 菊池のどかさんの別の記事 ▼

 

www.yomiuri.co.jp

 

今日は、TVでもネットでも震災の特集がたくさんあります。

 

胸をえぐられるような壮絶な体験談もあり、とても辛いですが...そんな中でも一生懸命前を向いて生きている人の姿に、人間の強さを感じます。

 

私には何もできないですが...絶対に忘れないようにしたいと思います。

 

そして今一度、大きな災害が起こった時、家族それぞれにどうするかをしっかりと話し合っておきたいです。

「席譲りますマーク」とはなんぞや?それはとっても温かいマークです

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「席譲りますマーク」をご存じですか?

 

私もつい最近知ったのですが、「マタニティマーク」の逆バージョンという感じで、電車やバス内で妊婦に席を譲りたい人が、意思表示のため身に着けるタグのことです。

 

sekiwoyuzuru.starfree.jp

 

マークを作ったのは東京都小金井市の会社員、椎野祐輔さん。

 

このマークを作ろうと思ったきっかけは、出産前の奥さんに付き添って電車に乗った際、優先席に座っていた高齢女性に席を譲ってもらったことがきっかけでした。

 

座席には若い人もいたけれど、奥さんが妊娠中だとは気づいてない様子。

 

事情を話せば席を譲ってくれる人はきっといたと思うけれど...

 

自分から「席を譲ってほしい」と声を掛けるのをためらい、結果としてお年寄りに負担をかけてしまった、という経験から生まれたのが「席譲りますマーク」です。

 

 

私も妊婦だったとき、一番辛かったのはまだまだお腹が目立たない妊娠初期。

 

他人から見たら、なかなか妊婦さんだと気づかれない時期が体調的に結構大変だったりします。

 

でも、たしかに自分から席を譲ってほしいとお願いするのは、とても勇気がいると思います。

 

みんなが快く譲ってくれるわけでもないと思うし、思わぬトラブルに巻き込まれるのも怖いし。

 

だから「私は喜んで席を譲りますよ!ぜひ声をかけてね!」という意思表示をすることで、お互い気持ちよく席を譲りあえるのはとてもいいな~と思いました。

 

賛同したので早速購入。

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普通サイズで【¥380+¥120(送料)】でした。

 

 

私自身は、年に1度くらいしか公共交通機関を使わないので、毎日電車とバスで通学する高校生の娘が早速付けました。

 

うちの娘は、正義感が強くおせっかいタイプ。

 

朝は始発駅なので、必ず座れるのですが必ず毎日席を譲るそうです。

 

でも、譲る相手はだいたいお年寄り。(もちろんそれもとっても大切!)

 

まだお腹が大きくない妊婦さんのことは、考えたこともなかったそうです。(何度かマタニティマークの人には譲ったことがあるそうです。)

 

「私が気づけない人に声をかけて欲しい♪」と言いながらしっかりと紐を縛ってつけていました。

 

 

 

ところで...

 

この記事を書きながら...「席譲りますマーク」と検索したら、こんな画面が出てきました。

 

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なんだかとてもショックでした。

 

「マタニティマークが不快」と思うのには、色々な事情があるんだとは思うんですよ。

 

中には「妊婦様」と揶揄されるような態度の方もいらっしゃって、たまたまそういう方に接してしまったとか...

 

なかなか子供に恵まれず他人の妊娠が目に入ることが辛いとか...

 

妊婦だけ特別扱いするなとか、中にはマークを悪用している人もいるから、とか。

 

色んな考えの人がいるのは当然だと思います。

 

でも不快に思う人の方が少なくて、自分にできることがあればしてあげたいと思っている人の方が多いと信じたいです。

 

 

マタニティマークをつける理由は、別に席を譲ってもらうためでも、

 

人に妊娠をひけらかすためでも、

 

配慮を強制するためでもなく、

 

何かあった時にすぐ「この人は妊婦だ」と分かってもらうためのもの。(ヘルプマークも同じですね。)

 

どんな場面でも「人を思いやる気持ち」は忘れない人でありたいです。

あぁ...私、おばさんになったなぁと思った日

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先日、マイナンバーカードを作ろうと思い立って書類を作成していました。

 

最後、手元にあった比較的映りのいい証明写真を貼って終わり...と思ったら写真のサイズが違う~!!

 

私が貼ったのは4cm×3cm。必要なのは4.5cm×3.5cm。

 

一気に気持ちが萎えたのですが、気持ちを切り替えて今日、改めて証明写真を撮ってきました。

 

朝からバッチリメイクをして、顔色がよく映るよう白いシャツを着て出かけ、プラス料金の「美白モード」で撮影しました。

 

うん、映りは悪くない。悪くない...けど。

 

そこに映っていたのは...ほうれい線くっきりの緩んだ「おばちゃん顔」の私。

 

もちろん、もう自分が若者ではないと知っていたけど...「ハイ、あなたもう立派な中年ですよ」と突き付けられたような気がしました。

 

 

若い頃は自分のことだけ考えていればよかったし、毎日刺激があって楽しかった。

 

「自分は無敵なのだ」と思うほど、根拠のない自信にあふれ、顔も体も今より何倍も美しく輝いていた。

 

だけど、その根拠のない自信と、無知が故に人に迷惑もかけたし、たくさんの人を傷つけた。

 

そして、そんな自分が親になったもんだから急に不安になって「こんな自分が親でいいのだろうか」と悩み、

 

教科書通りの「よい親」ができない自分に苛立ち、

 

夫婦ともに激務で思いやる余裕もなかったから、夫婦仲も悪くなり何度も離婚の話が出て、家事に育児に仕事に手いっぱいで...とにかく毎日悩んで苦しかった。

 

 

でも、3年前に私は苦しかった仕事を手放し、夫も昔ほど激務ではなくなりお互いに心に余裕ができたので、現在はとても夫婦仲がいい。

 

子供も私の子にしては、とてもちゃんと育ってくれて...私は人生で今が一番幸せ。

 

だから、20代30代の頑張ってくれた私に心からお礼が言いたい。

 

大変な時に踏ん張ってくれてありがとう。

 

心をすり減らして、いろんなことに立ち向かってくれてありがとう。

 

その老けてしまった顔も、ほうれい線も、頑張って生きてきた証だぞ~!

 

そんなことを考えながら、チョキチョキと証明写真を切りました。

今朝起きて一番初めに見たニュースに心が温まった話

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コロナ関係の報道に疲れて、最近ではコロナ関係のニュースはあまり見ないようにしていました。

 

でも、今朝一番初めに目に入ったネットニュースに、とても温かい気持ちになりました。

 

www.newsweekjapan.jp

 

ニューヨーク在住のジャズピアニスト大江千里さん(私の年代では「格好悪いふられ方」のイメージが強いかも。)がコロナワクチンを打ったという記事です。

 

ワクチンの接種会場へ向かう様子や、接種のための列に並ぶ人の様子、ご自身がワクチンを打つ様子などをただレポートした記事なのですが...

 

なんだか文章がとても素晴らしく、まるで自分もそこにいるように場面場面がイメージできるようなリポートでした。

 

そして私が心を動かされたのは、彼が接種してくれた看護師さんに「勇気ある使命を引き受けてくれてありがとう」と伝え、看護師さんは「素晴らしい言葉をありがとう」と笑顔で返したこと。

 

こうやって対面し、まっすぐに言葉を伝えることは、なかなか日本人には難しいけれど、私もこういう人でありたいと思いました。日々コロナの最前線で戦っている方々への感謝の気持ちを絶対に忘れないようにしようと思いました。

 

コロナ報道にうんざりしていた気持ちに、スッと爽やかな風が吹いたようなそんな気持ちになった素敵な記事でした。

コロナ疲れは、マスコミ疲れ

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新型コロナウィルスによる自粛生活も、早いものでもう1年。

 

私は地方に住んでいるので、県内の1日の感染者が20人超えたくらいで周囲も「やばいね!増えたね!」と話題になるくらいの感じ。

 

それでもこの1年、繁華街やショッピングモールにもほとんど行かないし、外食にも行かない。家族以外の人には会わない、そんな生活をしています。

 

でも今年に入ってから、この生活も疲れたな...と強く感じ始めています。

 

 

 

この疲れは自粛生活のせいというよりは、完全なマスコミ疲れ。

 

毎日毎日不安を煽るようなコロナ報道には本当にはうんざり。

 

毎日毎日、無責任なコメンテーターが無責任に文句ばかり言って批判ばかりしているけれど、あの人たちは、なにかを批判していないと死ぬの?と思ったり。

 

コロナのことだけじゃなく、最近は本当に何かを誰かのせいにしたり、執拗にたたいたり...こういうのって完全に社会が病んでるよな...と思います。

 

 

自分に関係のないところで、高い場所から不平・不満・文句を言うのは本当に簡単で、それが「正論」であればあるほど、自分が正しい人間だと思える。誰かのせいにすることで、自分が当事者から外れるような気になる。

 

ガンガン保障に回せ、金を使うのはしょうがない!と言いながら....きっと税金が上がったり医療費があがるとまた全力で文句を言う。

 

緊急事態宣言をだせー!と騒ぎ、実際に出たら「飲食店の人たちがかわいそうだー!」と騒ぐ。

 

 

 

全ての人が満足する答えなんて、全てにおいてほぼないわけで。

 

しかもこの世界的な大ピンチの時はなおさら。

 

 

私には医師免許も看護師免許もないから、医療のお手伝いもできない。

 

富豪でもないから巨額の寄付もできない。

 

ワクチンや治療薬の開発もできないし、総理大臣にもなれない。

 

だから結局「今、自分が何ができるか」なんだと思います。

 

 

きっとワクチン接種が始まると、また過熱報道が始まるんだろうな...となんだか憂鬱です。

 

現在、日本では1日に平均約3,300人が亡くなっています。

 

だから、例えばワクチンを接種後1週間以内に(ワクチンとは関係なく)亡くなる人だっていると思います。そんな時、科学的な検証も待たずワクチンのせいだー!と騒ぐマスコミがあるんだろうな...と思っています。

 

※もちろん、安全性は何より大切だし重篤な副反応は出ないにこしたことはない。でも100%安全なワクチンも薬もないわけで。その辺をみんながきちんと理解することも大切だと思います。そして、強制ではないから個々が判断して打つ・打たないの判断をすればいいと思います。

 

 

近年「テレビ離れ」と言われていますが、こういった有事の際に特に顕著に表れると思います。東日本大震災の時も同じように、とにかくマスコミに疲れました。

 

世の中の出来事や流れを知るために、報道番組をすべて遮断することはできませんが、自分で情報の取捨選択をしっかりして、自分の思考やココロをしっかりと守りたいと思います。